Farm History
はじまりは、明治初期に日本政府により小笠原島の開拓が始まった頃にまで遡ります。Nose's FarmGardenの先祖はこの頃島に渡って来ました。船には政府から開拓を命じられた人物「小花作介」も乗船していたという記録があるので、日本領土となった小笠原開拓者の一員であったとも言えるでしょう。
初代を継ぎ2代目がさらに開墾を続け、やっとの思いで現在の基盤となる畑をつくりました。しかしその苦労もむなしく、昭和19年、戦争によって全島民が強制的に内地へ引き上げさせられることとなってしまいました。当時まだ10歳の少年だった4代目(現農園主)は、うしろ髪をひかれる思いで”畑のあるわが家”から離れざるを得なかったそうです。
その後、戦争が終わってもなお島はアメリカ軍の統治下に置かれることとなったため、開墾した畑は長い間放置されジャングルとなってしまいました。戦争は終わったというものの、内地の疎開生活のまま思い出のつまった島に戻ることは出来ず、畑も手をつけられません。園主は当時を振り返り、ただただ惜しい思いが募るだけだったといいます。せめて唯一できることは、島が一日も早く日本に返還される運動等に参加することだったとのことです。
そして昭和43年、晴れて島が返還されることとなり、さらにその5年後(強制引き上げから28年後)にようやく帰島が許されました。その頃すでに38歳となっていた園主は、内地での新しい生活が定着しつつも、戦前と今を繋ぐため、家族を残し独り帰島して畑の再興に取り組み始めました。ジャングルを開墾し、例年の台風被害に遭いながら、長い年月なかなか思うように進展しませんでした。しかし、少しずつ形を取り戻し農園として蘇り、マンゴーやコーヒーなどの栽培に家族で取り組むことが出来るようになりました。
こうして、園主の悲願であったこの農園の暮らしは家族にとってもまたかけがえのないものとなりました。
返還=再興から もうじき半世紀…
今では季節の移り変わりとともに生長する作物に心癒される毎日を過ごしています...。
そしてこれからは、島を訪れて頂いたできるだけ多くの人々の心を、
同じように癒してほしい…と願っています...
2015年 秋
スタッフ総出、コーヒーピックの日に